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パプアニューギニアのラジオ局〜僕の「職場」紹介編 [ラジオ]

時々紹介しています、僕が青年海外協力隊隊員として派遣されたパプアニューギニア
「パプアニューギニアで何をしてたの?」と軽井沢でもよく質問をいただきます。
ということで…僕の派遣されていたパプアニューギニアのラジオ局Radio East New Britain
ついて少し紹介したいと思います。

まず僕が派遣されていたのは2004年4月から2006年3月までの2年間。
派遣職種は「視聴覚教育」で、当初は首都ポートモレスビーで中央政府の教育省に
配属されラジオによる遠隔地教育(島国,山国、ジャングルの国パプアニューギニアでは
学校に通えない子供たち、教科書など教材が十分に行き渡らない子供たちが大勢います。
そうした子供たちのためにラジオ放送で教育を行なうプログラム)の教材企画制作が
僕の任務でした…しかし首都の治安状況の悪化により派遣直前に任地が本島から
飛行機で1時間半離れたニューブリテン島に変更。島の東半分を占める
東ニューブリテン州にある国営ラジオ局の支局に配属されることになりました。

そのラジオ局がこちら。なかなか立派なきれいな建物です、3階建て!です。

dsc01491.jpeg

もともとはラバウルという第2次大戦の激戦地にあったこのラジオ局。
このブログでも以前書いた火山の大規模な噴火のため町が事実上壊滅。
ラジオ局は急遽、50kmほど南に離れた町ココポに移動したものの、
十分な放送を行うことができなかったため日本政府による援助で現在のこの局社が
新築されたわけです。ということで局の入り口にはそれを示すプレートがあります。

dsc01492.jpeg

リスナーからのリクエストやメッセージは毎日膨大な数が寄せられます。
ただし郵便代を節約(というより郵便局なんて町にしかないので、ジャングルの村々から
郵便物なんて出せません)し、且つ電話リクエストはもちろんFAXでの投稿だって、
電話線がある家なんてごくわずかですし、公衆電話は町の中のみ、しかも高いので
必然的に投稿は「ノート」に「手書き」で、町中の職場や学校にやってくる通勤通学の
家族あるいは親戚、近所の人、さらには見ず知らずの他人にと託され、彼ら彼女たちが
局の玄関入り口に設けた小窓に「投げ入れて」いきます=まさに「投稿」

dsc01451.jpeg

職場まで家から毎日片道1時間近い徒歩通勤をしていた僕も通勤途中で
お隣からご近所から見ず知らずの他人から「俺のリクエストを持ってってくれ」と
多い日には10通近くのメッセージを預かりました。

そんな僕のオフィスは…僕の仕事とは…? それは次回に…と引っぱります。

ラジオ局前の庭にて。同僚とみんなで記念撮影。
…ちなみにこの写真は僕が局を離れる最後の日の1枚。この写真に至るまで
局のおばちゃんスタッフたちと「大泣き」した後でした。

DSC02926.JPG

局の庭にあったパパイアの木、まだあるのかなあ。お昼ご飯、なんどこの
パパイアにお世話になったことか…。

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Ryota

pini 頑張りましたね。感動ですよ。アテネでも出てましたよね。あの時はテレビで見れず、短波放送の速報で聞いていたことを思い出します。それにしても、サザンはうらやましー
by Ryota (2008-08-21 12:50) 

FM軽井沢DJ

アテネ…懐かしいよねえ。NHKを見られなかった僕は、
「動いている」北島の優勝シーンは今回、「初めて」見ました。
とはいえ、相変わらず我が家にはテレビは無いんだけど…。

そうそうMr & Mrs Kuroda、そろそろ一時帰国かと。
Olgetta mipela laik bungim ol ですね。
Yu bin kisim toksave bilong ol pinis,no gat ya??
by FM軽井沢DJ (2008-08-21 20:37) 

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